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東京大空襲3・10を忘れまい 

 令和二年(二〇二〇)三月一一日の政府主催による東日本大震災(死者・行方不明一八四二八人)の追悼式が新型コロナウイルス感染防止のため中止になった。阪神淡路大震災(一九九五年一月一七日/死者・行方不明六四三七人)しかり、毎年の〝命日〟は追悼の日。自然災害による被災は宿命として理解するが、人為による被災は怨念と後悔が募る。
 二〇〇一年九月一一日の米国同時多発テロ(死者二九九六人)など人が人を殺す〝被害〟は無くさなければならない。国と国の戦争で人が人を殺す行為も絶滅しなければならない。 
3・11に関連して「東京大空襲3・10」を「忘れてはなるまい」と「忘れ去られている」事象を、改めて、あるメディアが取り上げていた。大空襲による〝被害〟を追う。
 昭和二〇年(一九四五)三月一〇日、午前〇時八分から二時三七分まで〝東京帝都〟は米軍のB29大規模空爆で「下町」を中心に死者(一〇万人超)負傷者(一一万人余)被災者(一〇〇万人超)がでた。二時間余の人為災害の〝被害〟は自然災害の比ではなかった。
 太平洋戦争終結までに空襲による日本人の死者は総計三〇万人超といわれ、原爆による広島(死者一四万人余)と長崎(死者七・四万人余)を加えると五〇万人を超す。これは外国のドイツ・ドレスデン大爆撃(死者一・八万人余)やイギリス・ロンドン空爆(死者二万人余)に比べると、日本の被った空爆被害が如何に異常なものかがわかる。
 とにかく東京大空襲が「山の手」ではなく住宅密集地の「下町」を狙って実行されたのは、焼夷弾爆撃が攻撃対象を焼き払うことを目的としており、まさに東京を焼け野原にしてしまうことだった。人が逃げ遅れ、焼け焦げて転がったまま、逃げ延びた先の河原でも折り重なった死体は、狂気ただよう悲惨な光景として記憶に刻まれた。地獄の景色が広がった。
 米国による焼夷弾攻撃は、日本家屋が木造で燃えやすい構造であることを踏まえ、詳細なデーターを収集、解析を行い、模型を作ってアリゾナ州の沙漠で実験を繰り返した後の「東京空襲作戦」といわれる。米国の「組織的かつ徹底的な分析作業」を進めての実戦は「やることなすこと場当たり的」な日本とは比較にならないだろう。何事も同じだ。
 今、大きな犠牲のあった「東京大空襲」に、日本国民のどれほどの人が想いを寄せているだろうか、公的な慰霊碑さえない。忘れてはならない「3・10」を「忘れまい」。


by inakasanjin | 2020-03-13 14:58 | 田舎日記 | Comments(0)