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 福岡県築上町の中安洋子さん(64)が令和5年(2022)度の「キクイモ地域特産物マイスター」に認定された。これまでの実績が評価され、今後、活動の促進や技術アドバイザーとして地域活性化の役割を担うことになる。彼女の「菊芋」への関りを追ってみる。

 最初、父が「広島の宿の朝食のイモの味が良かった」といい「売店で生イモを売っていたので買って帰った」と、名も知らずに上城井地区の2畝(約2㌃)の畑で耕作を始めたのが昭和の終わり頃。菊に似た花が咲くことから菊芋と分かった。平成20年(2008)、父から「種失いだけはするな」といわれ、菊芋畑を引き継いだ。
 菊芋は北米原産で多年草。地下茎の膨らみを食用とし「イヌリン(水溶性食物繊維)」を多く含み、血糖値上昇を抑制、腸を活性化、血圧低下の効果も期待されるダイエット食品としての評価。株は毎年植え替え、有機肥料をたっぷり与え、1株から約5㌔、1反(10㌃)あたり約1トンを収穫することができる。耕作面積は、放棄地などを借り受け、年々増え、現在、4町(4万平方㍍)になり「日本一ですね」と云われる。併せて栽培方法や人体への機能解明研究もすすむ。

 菊芋は畑から掘り出すのも大変な作業だが、水で土を除く洗いも難儀する。しかし「芋は洗って洗い尽くし、土を残さないよう芋を磨きます。土が無ければきれいな芋は保存も長く保てます」と、こだわる中安さん。
 きれいな菊芋のエピソードがある。TV番組「所さんの笑ってこらえて!ダーツの旅に出ます」の収録で、所ジョージさん1行が取材に来られた折、所さんが、積んであったきれいな菊芋を手に取って、生のまま齧った。すると「梨のようだ!」と驚いた様子。やはり磨かれた美しい芋だからこそ手が伸びたのであろう。

 芋づくりの仲間も、年々、増えてきた。さらに「注目の健康野菜、キクイモ」として「林先生の初耳学」や「たけしの家庭の医学」、「名医の太鼓判」などにも登場した。糖尿病や便秘解消などの食材として紹介されるなどメディアも熱い視線を注ぐようになった。シャキシャキ食感の菊芋パワーは広がる。上城井小学校の児童らの「菊芋づくり」体験学習も始まった。健康に効く!芋としてドレッシング、ふりかけ、パウダー、ピクルス、茶、パンなど、煮て、焼いて、炒めて、揚げて、漬ける万能食材として好評。この活動推進の力は合同会社「豊築マルシェモンステラ」のGセブン(7人のガール)が源のようだ。

# by inakasanjin | 2024-02-23 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)


 ことばで命を繋いでいてもプッツリと切れる時もある。群馬県利根郡月夜野町(現みなかみ町)で生まれた石田マツ(1934~57)もフッと逝った夭折の百姓歌人といっていいかもしれない。大峰山の麓で電気なく、水も湧き水という貧しいランプ暮らしだった。幼いころから4人弟妹の面倒を見つつ農作業を手伝った。中学2年修了後、季節労働、土木工事などに従事する貧困生活が続いた。
 そんな中、歌が彼女の生活を救っていた。雑誌「葦」歌選者の信夫澄子に認められ「人生手帳」や「新日本歌人」にも投稿した。歌を掬う。

    二反五畝で七十四枚の我が家の田山坂越えて八ケ所にあり
    土に生き土に死にゆくと心きめ今日もはげめと地下足袋をはく
    いつの日か電気をひかんと思いつつ野良より帰りランプを灯す
    ああ我も電気とラジオのある家で十日でいいから生活してみたい
    くたくたに疲れて帰る細道に春告げる白梅二つ咲きおり
    歌を詠み本読み日記書いたとて何になろう百姓の吾に
    くよくよせずに働こうとある信夫先生の文いくたびもいくたびも読む
    死ぬまでに一度でいいから母つれて東京見物してみたい
    私が死んだらねえ母よあのお墓の柿ノ木の下に埋めて頂戴
    百姓人夫女中季節労働者とこれが吾二十三年の歴史

 彼女は信夫先生から「日記帳」を贈られた後、毎日、その日記に「師への手紙文だとの思いで日々の雑感」を綴った。246日間、高崎観音で自殺する前日まで記した日記だった。死後、信夫先生は、それを『道なくて―自殺した乙女の日記』(光和堂)として刊行した。
 ただ不思議なのは、同郡内の川場村出身で、女啄木といわれた薄幸の歌人・江口きち(1913~38)についての記述が一切ないことである。彼女も貧困の中で「大いなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにけり(辞世)」など心打つ歌を詠んでいたが、知的障害のある兄と青酸カリを飲んで服毒自殺。マツは先行きを見通していたのだろうか。マツの地元の茂左衛門地蔵尊千日堂境内に建つ歌碑は優しくて悲しい響きのことば、だ。

    どこにいても真面目に働けば青空と人の情けはわれに美し

# by inakasanjin | 2024-02-16 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)


 人や国にいくら忠誠を尽くしても歯車が狂えば極悪人にされてしまう。世の常の姿。しかし何故そうなったか、後の人は歴史検証で真実に近づける努力が必要だろう。小倉藩の国家老・犬甘兵庫(いぬかいひょうご/1753~1803)の足跡を辿ってみたい。

 犬甘家は、信濃の小笠原家に仕えていた。武田信玄の小笠原攻略の凋落に反発。主君小笠原への筋を通し二木家と共に守り抜いた武家。後、小笠原筆頭家老の要職に就いた。 
 江戸時代、小笠原家は播州明石へ移り、寛永9年(1632)には小倉藩を治めていた細川忠利が熊本移封の後、忠利の正室千代姫の実兄である小笠原忠真(1596~1667)が小倉藩に移った。犬甘家もそれに従った。

 時が下がり、小笠原四代藩主忠総から忠苗―忠固に仕えた犬甘兵庫は、安永6年(1777)家老に列して「勝手方引受」に就任し「藩政改革と財政再建」の任に当たった。大飢饉に遭い、多数の死者や百姓逃亡など混乱が続いた。しかし身分制度の改革、倹約令など徹底した改革を行った。一方、運上金徴収法や田畑収穫量の増加を図る「新田開発」などの施策を推進。百姓には過酷な日々が続いたが、天明元年(1781)に着手した日明、中島、曽根などの干拓事業は5年余で約80数ヘクタールを完工。
 鬼の所業といわれた「犬甘改革」は大成功をおさめ、小倉藩の財政も黒字に好転した、が、犬甘と守旧派家老の反目は続いた。とくに信濃から小笠原家を支えてきた二木勘右エ門との確執があったようで「藩政乱脈の理由」により、兵庫は突然、一方的に蟄居を命じられて「頂吉(かぐめよし)牢獄」に投獄、そこで没した。藩改革による庶民の反発を「権力闘争」に利用された感、無きにしも非ず。忠苗はこの騒動の責任を取って辞任した。
 ところが次の忠固藩主時代にも騒動。小笠原家は家康を守り、支えたとして幕府では重用された。それをいいことに忠固は「大老になりたい」と江戸詰め家老を使って幕閣への接待を繰り広げ、藩の財政を苦しめた。大老推進派は城(白)に留まり、中止を唱える藩士は脱藩して筑前国の黒崎宿(黒)に集結。文化11年(1814)の内戦は黒が勝利する「白黒騒動」として伝わる。
 お家騒動は「小笠原諸礼忠孝」や「濃紅葉小倉色紙」の歌舞伎になった。劇では兵庫が極悪人の国家老として登場。でも兵庫の謎の獄死はあまりにも酷い最期。ただ綿都美神社(北九州市)に「兵庫の顕彰碑」の建つのが救い。人の誠も見える。

# by inakasanjin | 2024-02-09 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)


 坂本九ちゃん(本名・大島九/1941~85)の運ばれた命は御巣鷹山だった。
 昭和60年(1985)8月12日、盆前の忙しい中、彼は仕事の都合で急遽、日本航空123便に搭乗。すると機体は群馬県の御巣鷹(標高1565㍍)の尾根に墜落。死者520人の1人になった。
 凄惨な遺体の判別は困難を極めた。まだDNA鑑定のない時代。皮肉にも、彼が身に着けた茨城県の「笠間稲荷ペンダント」が胸に刺さっていて身元が特定された。
 笠間ペンダントは、昭和18年の「常磐線土浦駅列車衝突事故(死者110名、負傷者107名の大惨事)」直前に、他の車両に移動していて難を免れたため、彼は「笠間稲荷の神様が助けてくれた」と、終生、「救済のペンダント」として大事にしていた。

 彼は神奈川県川崎市で9人兄姉の末っ子として生まれた。親は「付ける名がない」と「九」とし「ひさし」と読ませた。後、両親は離婚し母の大島姓になる。幼い頃からエルヴィス・プレスリーに憧れ、物まねが上手く人気者になった。高校ではロックンロールに熱を上げた。立川の将校クラブでアメリカ人を前に歌唱もした。
 そしてザ・ドリフターズに加入しボーカル兼ギターの担当になった。後、昭和35年に「悲しき60歳」がヒット。翌年の「上を向いて歩こう」が国内外で評判になり、アメリカで「SUKIYAKI」として大ヒット。権威あるビルボードのランキングで3週連続1位、日本人初の「ゴールドディスク」を受賞。世界の人に愛された。
 この曲、作詞は永六輔(1933~2016)、作曲は中村八大(1931~92)だった。それで永六輔、中村八大、坂本九を「689トリオ」と呼んで親しんだ。時代をうたう「トリオの歌」は人々を魅了した。

 昭和46年、九ちゃんは柏木由紀子さん(1947~)と結婚。2人の娘と温かい家庭生活を送っていた。姉の大島花子さん(1973~)はシンガーソングライター。妹の舞坂ゆき子さん(1976~/本名大島舞子で「舞」は名、「坂」は父、「ゆき子」は母)は元タカラジュエンヌ、女優、歌手、ドッグセラピストとして活動。
 最近は、母娘3人で坂本九ファミリー「ママ・エ・セフィーユ」というユニットを結成。父の歌った「見上げてごらん夜の星を」や「明日があるさ」、「幸せなら手をたたこう」、「世界の国からこんにちは」などの楽曲を中心に歌い継ぐ。家族の声は天の父に届いているだろう。歌は永遠。
# by inakasanjin | 2024-02-02 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

18歳と81歳の違い 


 今年、喜寿。そんな歳になったのか、の思いでいると、FB仲間の気遣いなのだろう、ある定食屋さんに貼っているという張り紙「18歳と81歳の違い」を送ってくれた。

      恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳。
      道路を爆走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳。
      心がもろいのが18歳、骨のもろいのが81歳。
      ドキドキが止まらないのが18歳、動機が止まらないのが81歳。
      恋で胸を詰まらせる18歳、餅で喉を詰まらせる81歳。
      偏差値が気になる18歳、血糖値が気になる81歳。
      まだ何も知らない18歳、もう何も覚えていない81歳。
      自分探しをしている18歳、皆が自分を探している81歳、

 なるほど納得の文言だ。数年で81歳になる身に、そろそろウオーミングアップでしょう、の送信を受け、調べると、このネタ元は、人気お笑い番組の「笑点」の大喜利コーナーのようだ。そして「張り紙」以外の〝指針言葉〟がさらにアップされている、ほかを探す。

      恋に落ちるのが18歳、ベッドから落ちるのが81歳。
      人の言う事を聞かない18歳、人の言う事が聞こえない81歳。
      検問に引っかかる18歳、詐欺に引っかかる81歳。
      親の支えがいる18歳、杖の支えがいる81歳。
      投票できるのが18歳、途方に暮れるのが81歳。
      未来を話すのが18歳、過去を語るのが81歳
      乾杯で始まるのが18歳、黙祷で始まるのが81歳。
      奨学金の返納は18歳、運転免許の返納は81歳。
      インスタバエは18歳、どんなハエは81歳。
      行く先が見えないのが18歳、逝く先が見えるのが81歳。

 まだ他あり。孫と爺のブラックユーモアは「くすり」と笑え「薬」にもなり、頭の体操になる。いつか通る道は、やがて通る道に繋がる。みんなが歩く道を、注意1秒怪我一生の思いで歩く。



# by inakasanjin | 2024-01-26 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)